東北の震災と復興。東北を知らない東京人からの見え方。非人道的すぎる視点

東北の震災と復興。東北を知らない東京人からの見え方。非人道的すぎる視点

この記事は東京にいて、震災以降に東北へ行っていない(現場を知らない)人間の目に写る東北震災、東北復興である。

東北はもう元の生活には戻れない

東北は復興(元の生活を取り戻す)を目指しているが、家が建ち、住民が戻っても元の生活には戻ることはできない。

震災があったという事実。時の経過。復興に限らず「一度、離れてしまったところへ戻ることはできない」身体がある場所として戻れても心は戻ることはできない。

戻ったとしても、そこは「元の場所」ではない。

東北は戻ろうとせずに新たな社会を創る方向へ進むべき。東北が本当に復興を望むのならば、復興しようとしてはいけない。

これまでを無に帰して、新たな土地を開拓する意識で造っていかなければならないと思う。再建を目指してはいけない。

偽善でしかなかった震災直後の募金活動

震災直後。駅前やあちらこちらで寄付を募る人たちが現れた。当時から僕は彼らを批判していた。

彼らの多くは無知な偽善行為であったからだ。ちょうど震災前まで自分はタイやイギリスで国際協力の世界を覗いていた。だからこそ、余計に批判的になっていた。(今でも変わらない)

彼らの多くは「震災と言う不幸に手を差し伸べる善い人」に酔っているだけだった。酔っていないのなら、今でも同じ行動を続けているはずだ。

その理由に彼らはお金を集めるだけで、それをどこに渡し、そこでどのように使われるかの説明をしていない。使途不明なのだ。「信じている」という最上級の無責任な考えである。そして寄付金を集めている赤十字やその他の団体の非公式の下請けのようになっていた。

もし寄付を募るのであれば「どこに寄付して、どう使われるのか」を理解した上で寄付先を選び、寄付を募り、寄付した人への経過報告もするべきである。

偽善だった人たちは赤十字や他団体から現地へお金が届いていない、物資が届いていないと騒ぎ立てた。これらの問題は少し頭を使えばそうなることぐらいわかるはずであるし、ただ単に寄付金を渡す先についての理解が乏しかっただけである。

そもそも本当に力になりたいのならば寄付金集めなどしない。江頭2:50氏がとった行動が善者の姿だと自分は考える。

日本には東北を復興させる理由がない

東北という場所にも復興が進まない理由があるのではないだろうか。これが東京や大阪、名古屋などなら1年も経たずに社会が通常の状態に戻るであろう。

傷つける言い方をする。日本社会においての東北のプライオリティの問題だ。(人道的ではない考え方だが)

そもそも震災前の東北の状態を認識する必要がある。過疎化はしていなかったのか?復興というが「どの状態」を目指しているのかが全く見えない。避難している人たちが元のように生活できる状態とは具体的にどのような状態なのか?

金のなる木になってしまった東北復興

東京にいて何かにつけて「東北復興」と言われると、他の震災の復興はどうなった?と思ってしまう。

しかしメディアで取り上げられるのは東北のことばかり。それだけ国民の注目を得られるのだろう。「東北復興」を使う人にしてみれば、自動的に「大義名分フィルター」に包まれて人を集めることができる便利なツールになっている。

商業化した東北復興

国家予算が滝のように流れ込んでいるにも関わらず復興しない東北。東北復興という市場を見事に作り出し、金が動く場所を造ったのだろう。

そう考えると東北が復興してしまったら折角の市場がなくなってしまうのだ。それなら復興させないギリギリのラインを維持するのではないだろうか?

集団は1人のために犠牲にならないという話は次回書こう。

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