one for All,All for oneは小規模では成りえる
僕はone for All,All for oneは集団の規模がある一定を超える(または集団構成員の損失が高くなる)と通用しなくなると思っています。
例えばスポーツチームやファン程度の集団であればone for All,All for oneも成りえるでしょう。ファンはチーム1人のためにどこまでするかと考えた時に、どこまでやるでしょうか?全財産を渡す人はいないでしょう。ファンの人の生活が変わるレベルでの行動はしないでしょう。(熱狂的な人を除いて)
個を犠牲にして集団を優先するのは本質的に当たり前
アニマルプラネットなど動物をテーマにしたドキュメント番組を見ていると「肉食動物が草食動物の集団を襲う場面」をよく見ます。
そもそも集団を構成する理由は「守るため」。要するに生存率を上げるためです。肉食動物に襲われた時に草食動物が取る行動は「逃げる」です。けっして集団で「戦う」ことはしません。
そして集団の中の弱いものが犠牲となって集団(集団内の個)は生き延びるのです。(犠牲になる個を守ろうとするのは別の個であって集団ではありません)
個がバラバラになっていたのでは襲われた時に自分の代わりに犠牲になる存在がありません。しかし個が集まれば、自分の代わりに犠牲に成る存在がいます。そして個自体の生存率は間違いなく上がります。
人間だって動物と何も変わらない
人間も動物です。彼らと本質的な違いなんてありません。例えば全ての国民がたった1人の命で助かるとしたら?国民は自分たちの生存率を下げてでも1人を助けようとするでしょうか?
恐らく善意の強い方は「助ける!」と思われたかもしれません。
それではなぜ政治はこれほどまでに自由に身動きが取れないのでしょうか?政治に限ったことではありません。PTAや自治会でも同じです。それは誰でも自分は犠牲になりたくないのです。
諫早湾干拓事業などは、わかりやすい例でしょう。どちらも自分たちが犠牲になることを拒んでいます。
誰もが「プライオリティのNo.1は自分」
集団を構成している理由が生存率を上げることであれば、個が自ら犠牲になりたいと思う人はいません。
漫画ブッダでは自ら犠牲になって他を救おうとする話が出てきます。残念なことに彼らほど、人々の精神は高くありません。
誰でも自分の安全圏を脅かすようなことはしたくない。自分が得ている利益を失いたくはないのです。
それらを守るために集団を作ろうとしているのです。多数派が生き残るのです。(多数決で正解が選べるかどうかは別問題)
この世は弱肉強食です。弱者は強者が生き残るためにいるのです。
one for All,All for oneが成り立つのは規模の小さい集団
成り立ったとしてもAll for oneはone for Allで差し出されるものとは程度は全く異なります。
個の安全圏を脅かさない、損失が大きくない程度。誰も命の危険が伴うケガはしたくない、でも献血のような危険が低いものならしてもいい。
これを理解していないと「集団は自分を守ってくれる」という幻想に取り憑かれてしまいます。
コメントを残す